Silent Night 05

「アッシュ、どうしたの?そこに居たら、部屋に入れないよ。とにかく、どいてもらえるかな」

質問の形を取っているものの、アッシュがまともに返事をしないうちに英二は荷物を手に、入り口を塞いだままのアッシュを片手で軽く押して、横へ押し退けて部屋へと入った。

「・・・・・・」
「どうしたの?さっきから変だよ?早いところ、荷物出して、滑りに行こうよ」

持ってきたバッグを開けながら、英二は大きな黒い瞳をきらきらさせながら、アッシュに笑顔を向けた。英二を追って部屋に入ったアッシュは暫し、何かを思案するような顔で黙ったと思うとほっと息を吐き出して、口の端を上げた。

「あぁ、急ぐなよ。スキー場は逃げて行かないぜ?」

いつもの口調で答えたアッシュの瞳に一瞬、陰が差したような気もしたが、すぐに目を細めて、横目で英二を見るとからかい始めたため、アッシュのどこかおかしい様子も英二の意識からすり抜けて行った。

「だいたい、オニイチャンは滑れるの?ボク、せっかく来たんだから、上まで行きたいんだけど?」
「ふふん。残念でした。スキーは得意なんだよ。地元からちょっと行けばスキー場も結構あったしね」

得意げに言った英二にアッシュは肩を竦めて、芝居掛かった様子で軽く頭を振った。

「そりゃ、残念。いっぱい転んで、笑わせてくれるのを期待していたのに」
「君、性格悪いぞ!」

英二が傍にあった枕をアッシュに投げつけると造作もなく避けたアッシュが笑い出して、英二も釣られて笑い出す。
大笑いをするアッシュを見て、英二は来て、本当に良かったと思った。



「本当にうまかったんだな」

驚きいっぱいに目を見開いたアッシュを見て、英二は得意げに胸を張る。
晴れ渡った陽の下、光を反射させた雪一面の眩しいゲレンデは人気の場所ということもあって、人でいっぱいだった。端の方に設置されたリフトで随分上まで登ってきた二人だったが、急な斜面にも拘わらず雪の粉を舞わせて降りる英二に思わずアッシュが遅れを取る場面もあったくらいだった。
ゴーグルをしていて、顏全体が見えるわけでもないのに、見栄えのよさが溢れ出ているアッシュと細身で艶やかな黒髪の英二が綺麗に弧を描きながら滑っていく姿は周囲の注目を浴びていた。

「だから言っただろー?僕、結構、運動神経はいい方なんだよ?期待に沿えなくて申し訳ないね」

嬉しそうにアッシュを向いて、にやりと笑った英二にアッシュはすっと視線を下へと向けた。

「・・・知ってる。英二はアスリートだからな・・・」

アッシュの軽口の応酬を予想して構えていた英二は、アッシュの声のトーンが明らかに下がったことに気が付いた。

「アッシュ?」

英二は横に並ぶアッシュの顏をよく見ようと覗き込もうとしたが、アッシュはゴーグルをすっと嵌め直してしまって、表情はよく見えなくなってしまった。
それでも顏を覗き込もうとする英二にアッシュは顏を背けて、表情を隠すと、ぐいっと傾斜へと踏み出した。

「英二、後から下に着いた方が昼を奢るんだぜ?」
「あ。アッシュ、ズルいぞ」

先に残りの斜面を駆け下り始めたアッシュを英二は慌てて追い始めた。



英二はずっと違和感を感じていた。
アッシュの様子が何かおかしい・・・気がする。どこが、と聞かれると説明できないのだが、妙に楽しそうなのが気になる。楽しそうにしていること自体はいいのだが、楽しそうにしていたかと思うとふとした時に、瞳に陰が差すような、ほんの一瞬の憂いに似たもの。
昼も散々滑って、麓のログハウスで二人で昼を食べて。
楽しく過ごした間に感じたこの違和感はいったい何なのか。
英二はここまでのことを思い返しながら、違和感の元を探る。

「おい、英二!」
「え?」

アッシュの声に我に返る。夕食を食べながら、意識を飛ばしていたらしい。
目の前の翡翠の瞳が心配そうにこちらを見ている。

「あ、ごめん」
「さっきから、ぼんやりしてどうしたんだ?」

本人に聞こう。
アッシュのことは何でも知りたい。不安そうにしているなら、なおさら、その不安を共有したい。
自分から言ってくれるようなアッシュじゃないから。
英二はすっと息を吸い込んで、軽く目を閉じた後、アッシュの目をじっと見た。

「変なのは、アッシュの方だよ。今日一日、君の様子がどこかおかしかったよ」

英二の言葉にアッシュの目が見開かれた。

「英二・・・」
「何か心配事でもあるのなら、話してくれないかな?」

アッシュは驚きと戸惑いの混じった顏で英二を見つめた後、視線を伏せると自嘲気味に口の端を上げた。

「お前に察せられるなんて、オレもまだまだだな」
「アッシュ!」

揶揄いの言葉で誤魔化そうとしているのではないかと英二は思わず声を上げたが、アッシュは手にしていたフォークをかたんと置くと席を立った。

「英二、部屋に行こうか」

2014年2月9日

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