曇りのち、晴れ 02

まだ眠りから覚めやらぬうちに叩き起こされた挙句に長々と待ちぼうけを食らわされたのも面白くなかったが、好んで引きこもっているわけでもないのに「呑気だ」と言われて、反射的に言い返してしまった。
それでも、非難した方の英二がひどく辛そうな顔をしたのを見て、アッシュは次の言葉が出なかった。
いつもは何でも苦笑して許してくれる英二が、たかがプリンごときでここまで怒ると思ってなかった。

(なんかあったのか・・・?)

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上着を羽織って、財布だけ手にして出てきた英二はつかつかと通りを勢いよく歩いていたが、地下鉄の駅へ降りる入り口近くまで来ると、歩みを緩め、傍にあった街頭へと寄り掛かって、天を仰いだ。

「はぁ・・・傘持ってくればよかったかな」

英二の気持ちそのままのように、空は厚い雲に覆われて、鈍色の空が垣間見えている。
勢い込んで出てきたはいいが、どこに行くのか考えて来なかった。
曇り空を見上げながら、英二は今朝のことを思い返した。


以前暮らしていた59丁目のアパートメント同様にここでも英二のミセス人気は健在だ。
英二の優しい雰囲気に、特にあまり流暢でない英語の話し方がご婦人方の世話欲を掻き立てるらしい。
何かを作ったと言っては持って来る。
そこに英二が自分でも作ってみようとレシピを聞いたりするものだから、相手も喜んで、余計に話し込む時間が長くなるのはよくあることだった。

それでも、皆が皆、英二のことをよく思っているわけではない。
階下に住んでいるジョーンズ夫人はそんな一人だ。
引っ越してきた当初に挨拶したときもあまりいい顏はされなかったが、以降、アパートメント内で何度か会ったり、英二にお裾分けをしてくれる夫人たちの話を聞いていると、ジョーンズ夫人はどうやら東洋人が、というより白人以外を好まないらしいということが分かった。
朝、アッシュを無理やりベッドから立たせるように起こしたところで、そんなジョーンズ夫人がやってきた。
なんでも、英二が水をやった鉢植えの水が漏れて、夫人の家のベランダに掛かってきたと言うのだ。
「鉢植えは持ってませんよ」と言って、曇り空なので雨ではないかと言ってみたりもしたが、信じてくれず、「東洋人の言うことは信用ならないわ」と言われた。
「まいったなー」と思っていたところで、収まらない夫人はアッシュのことにまで言及した。

「だいたい、一緒に暮らしているあの金髪の男も胡散臭いわね。1、2度しか見たことないけど、いったい何をして暮らしているのやら。若いのに家でだらけてばかりだなんて、嘆かわしいわ。どうしてこのアパートメントに住めるのか不思議だけど、人に言えない仕事でもしているんじゃなくて?」

自分のことでは滅多に怒らない英二もこれには顔を真っ赤にして抗議した。

「アッシュのことを悪く言わないでください!」

(何にも分かってないくせに!)

ゴルツィネの手から自由になっても、未だ外を出歩くこともできないアッシュ。他人にとやかく言われなくとも、本人が一番、自由に外に出たいはずなのに。
「とにかく、水を掛けたのはうちじゃありません」と腹立たしい思いで相手を追い返し、部屋に戻ったものの、こんな話をアッシュに聞かせたくなかった。

「待たせて悪かったね」

テーブルに付いたまま、うつらうつらし始めていたアッシュに謝って、朝食の用意をした。
その後、朝の出来事を忘れようと、やるべきことをこなして、漫画も読んでみたけど、完全に忘れることはできず、棘が刺さったようにジクジクと痛んで、英二を不快な気持ちにさせた。
気分転換を図ろうと冷蔵庫を開けたら、プリンが・・・なかった。
前日も同じようにジュースを飲まれてしまったことを思い出したのに加えて、ジョーンズ夫人のこともあって、思わず声を荒げてしまった。

日頃は寝起きの悪いアッシュを起こしたり、寝ぼけたまま朝食を食べ始めるアッシュを見て、苦笑しつつも、微笑ましく思っているのに、今朝はちょっと違った。
食べようと思ってたプリンがなくなっていたのは最後の一押し。
アッシュ本人は他人にどう思われようとも、「知ったことじゃないな」と言って気にしないだろう。
しかし、英二にとってはアッシュを悪く言われるのは面白くなかった。
外に出られないのはアッシュのせいではないし、しかも、アッシュ自身があまり気にしなくなってきたところを未だ家に引き留めたがっているのは英二自身。
朝のジョーンズ夫人とのやり取り以降、アッシュを家に引き留め続けることがいいのか分からなくて、苛々していたところ、些細なことから、朝のアッシュの緩み切った姿が思い出され、夫人の揶揄があたかも的を得ているように思えて悔しかった。

(僕がこんなに頭を悩ませているのに!)


英二はふるっと頭を軽く振って、街頭から体を起こすと地下鉄への階段を下りて行った。

(少し頭冷やそう)

2013年3月17日

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