曇りのち、晴れ 01

ソファに寝転んで漫画を読んでいた英二の手がソファの前のテーブルの上へと伸びた。
テーブルの上には黒い箱が載っている。箱の中には貝を象った小さなフィナンシェが個別に包装されて行儀よく並んでいる。

「ぷっ」

時折、英二から堪えきれない笑いが漏れてくる。
テーブルをL字型に囲むようにして置かれた、もう一方のソファではアッシュがやはり横になって、新聞を読んでいた。
英二の笑い声にアッシュは呆れたように一瞥して、自分も英二と同じように箱の中から一つ摘まむと透明な包装をぴりっと破いて、中のフィナンシェを口の中に放り込んだ。

休日の午後。空はどんよりと曇っていて、雨が降ってもおかしくない雲行きだ。
早起きの英二は午前には掃除も済ませて、二人分のお昼を用意した後、平日に溜めていた洗濯ものも終わらせ、ようやく一息といったところで、お茶を楽しんでいた。

それぞれが漫画、新聞に没頭する中、午後のニュースを告げるテレビの声だけがリビングに響いている。
漫画から目を離さない英二の手が再び箱へと伸びた。

すかっ。

英二の手が箱の中で空を切る。漫画から目を離さないまま、しばらく箱の中をがさがさやっていたが、英二はようやく顏を上げて、テーブルへと身を乗り出し、箱の中を覗きこんだ。

「・・・」

箱の中にいっぱい並んでいたフィナンシェはなくなっていて、箱の横には透明な外包みが山となっていた。

「・・・そうだ。取っておいたプリンでも食べよ」

ぱっと明るい顏になると手にしていた雑誌をテーブルの上に伏せると、キッチンへと向かった。
英二の一連の行動を見ていたアッシュは呆気に取られた顏をしていたが、英二がキッチンへと消えるとふっと笑って、新聞へと視線を戻した。
途端。

「あ〜っ!」

キッチンの方から英二の大きな声が響き渡る。
ばたん。と冷蔵庫を閉める音がしたかと思うと、英二が勢いよくリビングに戻って来た。

「英二、もう少し静かに・・・」

アッシュが最後まで言い終わらぬうちに英二が言葉を被せてきた。

「アッシュ、僕のプリン、食べちゃっただろう!」
「?」

腰に手を当て仁王立ちになって怒る英二にアッシュは横になっていたソファから体を捻って英二の方を振り返った。

「・・・何のことだ?」
「プリンだよ!僕が後で食べようと取っておいたプリンを食べちゃっただろう?」

いきなり非難されたアッシュは先程までの微笑ましい表情とは打って変わって顏をしかめた。
英二はなにやら怒っているようだが、アッシュには全く心当たりがない。
眉を寄せて考え込むアッシュに英二はじれったそうに言った。

「また!?君、覚えてないみたいだけど、寝ぼけたまま起きてきて、食べちゃったんだよ。昨日もだよ?」

考え込むアッシュの脳裏に今朝の光景が思い起こされる。
英二が耳元で散々うるさく「朝だ。起きろ」と喚いて、アッシュもさすがに眠り続けるのも困難になり始めた頃に、訪問を告げる呼び鈴の音がして、英二は玄関へと行ってしまった。
眠い目をこすりながらキッチンへ来てみると、テーブルの上にはまだ何もない。
アッシュがいつ起きるか分からないから、起きてからテーブルに出すつもりだったのだろう、コーヒーさえもなかった。
椅子の上で片膝を抱えてウトウトしたが英二はなかなか戻って来ない。
このままではテーブルで眠り込んでしまいそうだと頭をすっきりさせようと冷蔵庫に向かい、何か食べた気はする。
でも、何を食べたのかは・・・

「覚えてねぇ・・・」
「!」

英二はたいていのことでは怒らないが、この日はムシの居所が悪かったのもあるのだろう。アッシュの一言でスイッチが入ってしまった。

「覚えてない・・・って。僕はお昼に食べようと思って、楽しみにしていたんだよ?君は昨日の晩に食べちゃったじゃないか」

「食べようと思った時にないっていう、この気持ちが分かるかい」と英二の小言が続くのを聞いて、次第にアッシュの表情も不機嫌そうになってきた。

「英二だって、人のことを叩き起こしておいて、玄関に行ったきり、なかなか帰って来なかったじゃないか」
「だから、僕のプリンを食べちゃっていいって言うのかい!?」

言い合いの内容がひどく低レベルで子供の言い合いの様相を呈しているが、ここには二人しかいないので、誰もそれを指摘する者はいない。

「だいたい、昨日だって」と今朝同様に同じアパートメント内のご婦人がマフィンを持ってきてくれて、話し込んでいるうちになくなっていたジュースのことを思い出し、英二は自分の怒りに火を注ぐ恰好になった。

「君はほんっとに毎日、呑気だな!」

英二の言葉にアッシュも思わず反応した。

「好きで家に閉じこもっているわけじゃない!」
「あ・・・」

平和な毎日につい忘れてしまいそうになるが、一連の事柄にケリがついたのは、ほんの半年前。
国立衛生センターの爆発に、政治スキャンダル。
関係者はそれぞれが自分の世界での保身に走らざるを得ず、“バナナフィッシュ”を持たないアッシュが積極的に追われることはないだろうという結論には落ち着いたものの、事件が世間の記憶にそう古くない間は外出は控えた方がいいと言って、アッシュはあまり外に出ない生活を送っている。
元々の怖いものなしに加えて、時が経ったこともあり、最近ではふらりと出掛けようとすることもあるが、英二の方はまだ気が気でない。英二の方が外出を引き留めることが多い。

毎朝寝起きの悪いアッシュとの攻防も平和に暮らせている証だと思っているのに、ムシの居所の悪かった英二は思ってもなかったことを言ってしまった。
不当な非難をしてしまったことに気付いた英二はハッと息を飲み、アッシュを見遣ったが、自分をきつい眼差しで見るアッシュに、拗ねたように眉根を寄せて顏を背けた。

「・・・でも、悪いのは君なんだからね・・・」

英二は顏を背けたまま、視線は床を向いて、苦しそうに言うと、パッと顏を上げて、アッシュに気持ちをぶつけた。

「いつも、いつも、僕が謝ると思ったら、大間違いだからね!」

言った途端、くるっと背を向けるとリビングから出て行き、廊下でがさごそ音をさせたと思うとリビングに顏を出して、

「出掛けてくるね!」

と、キッと睨んで出て行ってしまった。

些細なくだらない理由で喧嘩してもらいました(^^;)
英二だって、ムシの居所悪いときもあるよねぇ。
(2013年3月8日コメントから)

inserted by FC2 system