想う 後編

ポケットから出した鍵を差し込んで回し、アッシュがドアを開けようとしたところで、チェーンが伸びきって、手にがつんと衝撃が伝わった。

「あいつ、チェーンまで掛けてる」

一旦開けたドアを手前に戻し、ドア脇の呼び鈴を押す。
一応高級アパートメントに分類されているが、歴史ある建物のために、ごーんと最初の音が飛んでしまった間抜けな呼び鈴の音が響いた。ドアの向こうから、パタパタと英二が
駆け寄って来る音がする。

「アッシュ、おかえり」

英二が優しく微笑んでドアを開けてくれた。英二の声はいつでもアッシュを穏やかな
気持ちにさせてくれる。

「あぁ」

つられてアッシュも口の端を上げたところで、英二のそう大きくない手でいきなり視界を塞がれた。

「英二?」
「アッシュ、目を瞑って」
「目?なんで?」
「いいから」

英二の楽しそうな声に素直に従ってアッシュは目を閉じた。

「アッシュ、こっちだよ」

持ち帰った品物は英二がそっと受け取り、アッシュの手から離れた。水でも使っていたのか、少しひんやりとした英二の手に引かれて、廊下を進んで行く。

「まだ開けちゃダメだからね」

がちゃり。
瞼越しにリビングの明かりが目に飛び込んできた。空気からは部屋の様子は分からない。

「ここに座って待ってて。目は閉じたままだよ?」

英二はアッシュの両肩に手を置いて、そう言い残すとキッチンへと入って行ったのか、足音が遠ざかって行く。
再び、足音が近付いてきたと思うと爽やかなフルーティーな香りと甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「もういいよ。アッシュ、目を開けてみて」

英二の声でゆっくりと目を開けると、二人で食べるにはやや大振りのケーキが目に飛び込んできた。
白いクリームの上にはチョコレートで二人の男の子の顏が並んで描かれている。一人の男の子の目にはマスカットが嵌め込んであって、もう一人の男の子の目はチョコレートで塗り潰されている。どちらもにっこりと口元が弧を描いた顏だ。
そして、その上にはカラフルなアイシングで書かれた“Happy Birthday!”のプレート。
アッシュは思わず息を呑む。

「・・・驚いたな」

目を大きく見開いたアッシュが呟いた。

「驚いたかい?君はいつものごとく、すっかり忘れているようだけど、今日は君が生まれた日だよ」

椅子に座ったアッシュの両肩に手を添えて、英二が後ろから覗き込んできた。細めた目には温かい光が溢れている。

「・・・・・・」
「君を驚かせたくて、準備のためにちょっと出かけてもらったんだ」

悪戯を成功させた子供のような顔で嬉しそうに英二が笑う。
周囲を見渡せばリビング中、どこのパーティー会場だと思う程飾り付けられていた。アッシュがあちらへ、こちらへと買い物のために店を梯子している間、英二の方でも飾りつけに奮闘していたらしい。

「英二、ありがとう」

背後から覗き込む英二をアッシュが振り返る。英二はアッシュの頬に軽く唇を触れさせた。

「Happy birthday, Ash. ケーキの前に食事にしようか。シャンパンも冷やしてあるんだ」

体を起こそうとした英二の頭に右手を絡めて引き留めた。

「誕生日なのにそれだけ?」

少し低くなったアッシュの声が英二の耳をくすぐる。

「さ・き・にご飯」
「痛っ」

英二の頭を抱えた方の手の甲を軽くつねられた。

「“先”ってことは後ならあるんだな?」

にやにや笑って英二の顏を仰ぎ見ると耳まで真っ赤にした英二が眉根を寄せて困った顏をして立っていた。

「知らないよ!」

くくっと笑ったアッシュの背中越しにやや早歩きの英二の足音がキッチンへと向かって行く。
英二は出会ってから毎年、こうやって誕生日を祝ってくれる。別にサプライズである必要はないと思うのだが、その方が嬉しさも大きいと英二は信じているらしい。
本当は途中で、不思議な“お使い”の意味に気付いたけれど、英二に合わせて、気づかぬ振りをした。
アッシュを驚かすことができたと嬉しそうな目の輝きで祝ってくれる英二を見ただけで、一つ余分にプレゼントをもらった気分だ。

「いや、既に一番のものをもらっているのか」

口元は微笑んだまま、アッシュはそっと目を閉じた。
こんなときだけは、神とやらに感謝してもいいとアッシュは思う。
英二と出会えたこと、それが一番の贈り物。

時折、チンとガラスの澄んだ音を立てながら、英二がシャンパンとグラスを持って来る足音が聞こえた。



「あれはたぶん気づいてたなー」

冷蔵庫からシャンパンを出しながら、英二は眉を下げつつ、唇を尖らせ、ひとりごちた。

(言われたままに素直に目を閉じていたしなぁ)

さすがに不可解なお使いだったかと反省する。考えさせてしまったと思う。
別にサプライズでなく普通に祝っても、アッシュは喜んでくれると思う。先程だって、照れ隠しのためか、最後はからかわれたけど、目は嬉しそうに英二を見つめ返していた。

「でも、僕は驚かせたいんだよね」

「来年はもっと自然にやるぞ」と心の中で握りこぶしを握って、片手にグラス、もう片方にはボトルを持って、リビングへと戻る。
そう、来年も二人で祝おう。

2014年8月12日

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